旅するデジカメ〜札幌発東京定住日記

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zoom RSS 沖縄の米軍基地

<<   作成日時 : 2004/06/23 23:00   >>

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 2004年6月、生まれて初めて沖縄を訪ねた。何より印象に残ったことの一つが、広大な米軍基地だった。


 片側2車線の、広い国道を走っていると、右手、左手、あるいは両手に、必ずと言っていいほど見えてくる、フェンスに囲まれた広大な空間がある。米軍基地だ。沖縄の道を実際に運転して見なければ実感しにくいことだが、とにかく広い。両手を上にいっぱいに伸ばしても届かない、鉄条網付きのフェンスが、延々と何キロも続く様は、とても自衛隊駐屯地の比ではない。

 山岳地形で、平地が乏しい沖縄で、米軍が占拠している敷地は、利用価値の高い一等地だ。フェンスを隔てて、平屋建ての兵舎や倉庫、住宅が悠然と立ち並ぶ基地と、2〜3階建ての住宅や商店が最小限の隙間でぎっしりと立ち並ぶ光景は、異様と言うしかない。那覇、北谷、嘉手納・・・いたるところにそんな光景が広がっている。

 沖縄が米軍基地に埋め尽くされて行く過程は、二段階ある。第1段階は、沖縄戦から終戦に至る戦闘期、沖縄に上陸した米軍は次々と日本軍の基地や飛行場を占領し、修理改築して、自分たちのものにして、対日戦を有利に進めた。さらに戦闘のどさくさに紛れて、住民の居住地区も破壊し、基地にして行った。戦争が終わり、米軍による収容から解放されて住民が戻ると、住んでいた場所が基地になっていたというケースも、多かったという。第2段階は、終戦から返還までの米軍統治期。冷戦のさなか、軍事力でアジアににらみをきかせる必要があった米軍は、住民の居住地域や農地を次々と接収し、基地にしていった。アメリカの政策に歯向かう市長や町長は、更迭された。統治権をアメリカが握っているため、やりたい放題だった。そして、沖縄の復帰交渉が始まったとき、日本政府は、米軍による土地の強制収用を事実上の不問とし、住民から強奪した基地にそのまま居座りつづけることを、すんなりと認めた。

 在日米軍基地の75%が沖縄にある、ということは前から知っていた。しかし、その数字が意味するすさまじさは、狭い沖縄の一等地が、あれだけ広大に米軍によって占拠されている光景を目の当たりにして、初めて実感できた気がした。

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