旅するデジカメ〜札幌発東京定住日記

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zoom RSS 誰も反対できないこと

<<   作成日時 : 2005/12/08 23:00   >>

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align="left" 北朝鮮に拉致された日本人の救出を訴える集会に足を運ぶ機会が、去年から今年にかけ、何度かあった。この集会、会場に入るたびに、何とも言えぬ「異様さ」を感じてしまうのは、どうしたことだろうか。

 正面には「日の丸」。そして集会は、「君が代斉唱」で始まる。受付で渡される封筒には、「産経新聞」や「新しい歴史教科書をつくる会」のチラシがごっそり入っていた。この集会の主催者は、超保守・国家主義団体としてその名の知れた「日本会議」だ。

align="left" 「日の丸」「君が代」は、個人的に好きではないが、まぁいいだろう。スポーツの国際試合なんかでも、もはや「普通の光景」になっているし、卒業式なんかと違い、唱和を強制されるわけでもない。嫌なら黙殺する自由はある。けれども、こういう集会で配布されるチラシで、なぜ「憲法改正」なのか? なぜ「反ジェンダーフリー」なのか? なぜ「従来の歴史教育は反日的」という主張なのか?

align="right" 拉致された日本人の早期救出に、国を挙げて取り組まねばならないことは、論を待たない。拉致された当事者や家族は本当に気の毒に思うし、それに対する北朝鮮の姿勢は、到底許すことができない。これに異を唱える人は、日本人にはまずいないだろうし、世界中を見渡したって(おそらく北朝鮮以外は)、そうだろう。

 だがしかし、である。拉致被害者救出という「誰も反対できないこと」にのっかって、憲法や教基法改正だの歴史教科書だのが、なぜ一緒くたに議論されるのか。北朝鮮による拉致は、現行憲法や、戦後の学校教育に原因があるとでも言いたいのか?

 拉致問題は人権問題であり、人命問題であり、自国民保護問題である。けれども、この「誰も反対できないこと」が、偏狭なナショナリズムを広め、この国の孤立に手を貸そうとする勢力に利用されている。その勢力の真の目的は、拉致被害者の救出などではない。この国を戦前に戻し、自由を封じ、戦争ができるようにし、権力者が国民をいいように使える国にすることである。そのニオイがプンプン漂う集会の会場。私の感じる違和感の正体は、それである。

(撮影=2005年某月・北海道内/カメラ内蔵携帯電話 DoCoMo D505iS)
Ocean Radio@2006


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