旅するデジカメ〜札幌発東京定住日記

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zoom RSS 死刑に関すること

<<   作成日時 : 2012/02/22 23:00   >>

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画像 光市母子殺害事件で死刑確定のニュースを、重いため息とともに聞いた。

 個人的な感想を言えば、国家が合法的に人間を抹殺することを由とする理屈が、どう考えても思いつかない。こう書くとすかさず、「人を2人も殺した者が合法的に生きていくことを由とする理屈が思いつかない」と反問されるだろう。死刑に賛成の人、反対の人、結局のところこの命題は、個人の死生観の違いということに行き着いてしまうのだろうか。

 国民の八割が存続を支持していることが、死刑存続の論拠としてしばしば挙げられる。けれどもそれは、過度の秘密主義によって、その実態が秘密のベールに包まれているからではなかろうかと私は常日頃思う。アメリカ並みに死刑の情報公開を進めた上で、なお国民の八割がそれを支持するのかどうか。また、死刑を執行するために必要な膨大な社会的コスト、何年にもわたる裁判と検事、国選弁護人の費用、死刑確定後も10年近く拘置しておかねばならない負担、不足する施設、逼迫する国家財政、そういうことを踏まえても、国民は死刑適用を拡大せよと言うのだろうか。

 死刑存続が国民の意志であるならば、少なくとも、平時の執行場公開と執行予定日の事前告知、死刑確定者への接見の自由、これくらいは最低でもやるべきだと思う。それから、立会い検事と同様に、審理を担当した者でなくていいから、裁判員を執行に立ち会わせるべきである。死刑や死刑囚のありようを徹底的に秘密にしておいて、気分と空気に支配されやすい国民が「死刑賛成」などと言うのを、私はとても真に受けることができない。

 死刑は凶悪犯罪を抑止する効果があるともよく言われるが、この論拠に私は極めて懐疑的だ。なぜなら、この犯罪抑止論は、犯罪を犯す者が「自分は死にたくない」という最低限の理性を備えているという、きわめて楽観的な前提に立っているからである。生きたいと願う者の命を奪うから刑罰なのであって、死にたい者の命を奪っても刑罰にならない。大阪府池田市で起きた児童殺傷事件が典型例だが、死刑制度は、自分が死にたいから他人を殺すという行為の抑止にはならないのだ。さらに言えば、死にたいと願う者を殺してしまっては、その者は自分が奪った命の尊さ、自分の犯した罪の重大さを永久に認識することがない。そういう者を抹殺することが、社会の秩序維持に役立つのかどうか。

 考えるべきことは山ほどある。




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