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zoom RSS 「特攻」としてのドーリットル空襲

<<   作成日時 : 2013/04/04 21:30   >>

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画像 「東京奇襲〜昭和17年4月18日」というタイトルに引かれて古本市で買い、一気に読みとおした。

 日本による真珠湾攻撃から5ヶ月後に行われた、アメリカ陸軍爆撃機による東京初空襲。関東沖に668海里(約1200キロ)の位置で空母ホーネットから発艦した16機のB-25爆撃機が、白昼の東京・名古屋・大阪に低空で侵入し、市街地を爆撃した。攻撃隊の指揮官、ジミー・ドーリットル中佐(当時)の名前から、「ドーリットル空襲」の名で知られている。本書は、このドーリットル攻撃隊の7番機の機長を務めたテッド・ローソン中尉(当時)の手記だ。ロサンゼルスのダグラス航空機工場で夜間工として働きながら短大に通っていた学生時代に始まり、大学を中退して陸軍入隊、操縦士の資格取得、爆撃隊配属、機長拝命、ドーリットル空襲に参加後不時着、負傷し、アメリカに帰国して療養生活に入るまでが綴られている。手記の始まりが1937〜38年、陸軍入隊が1940年(月までは正確に書かれていない)、操縦資格の取得が同年11月、機長になるのが翌年2月(パイロットになってわずか3カ月後に機長!)。そして東京空襲を行うのが、機長となって1年2カ月後の1942年4月18日。負傷して帰国するのが6月16日。時間軸にして3年程度の体験記だ。

 ドーリットル空襲の具体的なありようについては、前から興味を持っていた。特に、あの悪名高い映画「パールハーバー」(2001年)の後半でドーリットル空襲の場面を見て以来、攻撃隊は本当にあの映画のように、「決死の覚悟」で空母から飛び立ったのか? 低空飛行で猛烈な対空砲火にさらされたのは本当だったのか? そして、着陸すべき空港が見つからずに日本軍勢力下の中国本土に不時着、日本軍と死闘を繰り広げた末に命からがら帰国、というのは本当だったのか? 映画自体が、事実と創作と史実の捻じ曲げがない交ぜになったB級品だっただけに、史実はどうだったのか、ずっと気になっていた。本書を読んで、アメリカ側から見た攻撃隊の具体的なありようを、ようやく知ることができた。

 感想を簡単に言えば、あれはほとんど、生還の望みが極めて低い片道飛行、スーサイドアッタク(自殺攻撃)、日本で言うところの「特攻」じゃないか。よくもこんな強引でムチャな作戦が陸海軍で起案され、大統領が承認し、実行に移されたものだ、と思った。

 陸上爆撃機であるB-25が使われたのは、海軍の艦載爆撃機では航続距離が短いため空母を日本本土に最接近させなければならず、日本軍の反撃で空母を失う危険性があったからである。陸軍の爆撃機で唯一空母から発艦可能な機体が、双発のB-25だった。それとて、B-25を東京に到達させるためには日本の沖合1000キロの、日本の制海・制空圏内に空母を進出させなくてはならず、危険であることに変わりはなかった。(実際、B-25を搭載した機動部隊は日本の哨戒艇に発見されるが、「攻撃隊の発進はもっと日本近海に近づいてから」と判断されたことが幸いし、B-25は有効な反撃を受けなかった。日本側が攻撃隊の来襲時刻を正確に予測して迎撃戦闘機を発進させ、低空侵入にも備えていたら、攻撃隊が大被害を受けていたこともあり得ただろう) さらに問題となるのは、爆撃を終えた攻撃隊をどう無事に収用するか、である。空母を日本の勢力圏内にとどめるのは危険すぎるし、だいいちB-25は、空母から発艦することはできても着艦は到底できない。本書によれば、攻撃隊は爆撃終了後中国本土に向かい、中国本土南東部・浙江省の麗水に着陸し、給油後、アメリカが支援する中国国民党の支配下にある内陸部の重慶に向かうことになっていた。麗水の飛行場は誘導電波を出して攻撃隊を誘導することになっていたという。しかし、当時の中国沿岸部は日本軍の勢力下にあり、そこに着陸することは危険を伴ったはずである。しかも、不時着後に機体や搭乗員が日本軍に捕獲された場合に備え、パイロットはごく限られた地図類しか携行が許されなかった。

 そして実際、攻撃に参加した16機のB-25すべてが、飛行場に無事に着陸することはできず、失われた。予定の着陸地に到達することができずに、燃料切れで不時着や空中脱出を余儀なくされたのである。本書の著者ローソン中尉機は、日没と悪天候による視界不良のために飛行場着陸を断念し、中国沿岸の離島に不時着した。作戦に参加した搭乗員80人のうち11人が不時着時に死亡、または日本側に捕獲されて処刑されるなどして死亡した。

 本書の構成は、爆撃任務そのものは真ん中あたりでごく短い記述にとどまり、後ろ半分は不時着と負傷、中国人の協力を得て帰国するまでの行程の記録に充てられている。それはそのまま、搭乗員たちの逃避行がいかに過酷なものであったかを物語っている。ローソン中尉も、不時着時に左足に受けた傷が化膿して組織が壊死し、軍医によって切断手術を受けている。(設備の整った病院ですみやかに治療を受けられれば切断は免れた可能性があったのか・・・本書では語られていないが、その可能性はあるだろう) 結果として、ローソン中尉を含む69人が生還して帰国を果たすことになるのだが、これは不時着地域の中国住民や民兵が日本軍の捜索から搭乗員をかくまったり脱出を支援したからである。本書でも、日本軍の追撃を逃れて内陸へ、中国人が用意してくれた小舟やトラック、バスで、ときには人夫に担がれて移動する様子が克明に描かれている。中国人がここまでアメリカ軍に協力的でなければ、あるいは日本軍の掃討作戦がもっと早く、広範囲に展開されていたならば、もっと多くの搭乗員が犠牲となっていたであろうし、全員死亡という事態だってあり得ただろうと思う。それは、作戦の立案段階から、状況を正確に分析すれば十分に予測できたことではなかっただろうか。(攻撃隊が中国沿岸に向かったことは当然日本側も気づき、軍は大規模な捜索をかけたり、着陸可能な飛行場を空爆し、多くの中国人が犠牲になったという)

 ドーリットルの東京空襲が、真珠湾攻撃の「落とし前」として起案され、開戦以来連戦連敗のアメリカ軍が日本に対して一矢報いたという事実をもって国民の戦意高揚を図るのが目的だったのは、広く知られている通りだ。実際、爆撃による日本側の損害は軽微だったにもかかわらず、この作戦は大成功という評価をアメリカは下している。攻撃隊の具体的なありようを本書で読み、ルースベルト大統領を含むアメリカの戦争指導部は、搭乗員全員死亡という事態も覚悟の上での作戦決行だったのではないか、という思いを強く持った。着陸地の安全が保障されない、燃料が足りるかどうかもわからない。それは、「特攻」以外の何物でもない。作戦の結果得られるプロパガンダ的も含めた戦果と比較考慮すれば、100名近い搭乗員の命を犠牲にしてでも価値がある、そう判断したということである。

 本書では、「危険で重要で面白い任務」「いまだかつてない危険きわまりない任務」(搭乗員たちは日本に向かう空母が出発するまで、攻撃目標が東京であることを知らされていなかった)のために訓練に励むローソン中尉らが、恐怖を一切感じず、むしろ機体トラブルや体調不良のために任務をはずされることをひたすら恐れていた様子が、随所に出て来る。なんだか不自然だな、と思いながら読み進んでいて、納得した。本書はドーリットル空襲翌年の1943年1月に出版されているのだ(原題は「Thirty Seconds Over Tokyo」)。戦局が一層悪化する中で出された本なのだから、戦争プロパガンダの一環と見るべきで、自殺も同然の片道飛行を「恐れていた」などと書けるはずがない。

 太平洋戦争での日本の敗因を語るとき、「日本は搭乗員を消耗品と見ていた」ということが、よく言われる。「戦闘による損耗に養成・補充が追いつかず、搭乗員不足が航空戦力の低下を招き、敗戦の一因となった」のだ、と。それに対してアメリカは人命尊重だった、と。確かに、戦闘機や爆撃機は性能をある程度犠牲にしてでも頑丈に作り、少々の被弾では墜落しないだけではなく、帰還不可能な場合はパラシュート降下を厳命し、降下した搭乗員については捜索・収用を懸命に行った。しかしそれは、戦略的合理性の範囲内であったことを、理解した。人命を上回る戦略的価値があると判断されれば、兵士の命がモノ同然に扱われるのは、アメリカも同じということだろう。




 ローソン中尉の「Thirty Seconds Over Tokyo」は、翌年映画にもなった。Youtubeを検索すると、予告編が簡単に出てきた。こちらも、戦時中の公開なのでプロパガンダ色が強いであろうことは想像がつくが、予告編を見る限りラブロマンスも織り込まれていて、娯楽要素も追求されているようだ。それにしても、画面に出てくるB-25爆撃機や空母は、どう見てもほんものホンモノだ。戦争宣伝のためとは言え、戦火の激しい中、軍隊がよく撮影協力できたものだ、と思う。映画と戦争の関係は切っても切れない、ということか。



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