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zoom RSS 始まった「はだしのゲン」への一斉攻撃

<<   作成日時 : 2013/09/12 23:00   >>

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 きのう、「新しい歴史教科書を作る会」が、「はだしのゲン」を学校から撤去するように要請したのだそうだ。

 この人たちは、自分たちの言っていることがわかっているのだろうか。理由は、天皇を強く批判する記述があり、天皇についての理解と敬愛の念を育てると明記した学習指導要領に反するからだという。そう言うのなら、天皇を批判する図書、天皇の戦争責任について述べる図書は学校図書館にいくらでもあるだろう。それらをすべて調査し、名指しした上で「ゲン」ともども撤去を要請しなければ、辻褄が合うまい。子どもたちが読みやすい漫画という形式であること、多くの学校図書館に収蔵されているから、「やり玉」に挙げたのだろう。要は「ゲン」が気に食わないのだ。なんというわかりやすさだろうか。

「ゲン」は学校教育法違反 つくる会が文科相に撤去要請
 新しい歴史教科書をつくる会(杉原誠四郎会長)は11日、漫画「はだしのゲン」の内容が皇室や国歌を否定するもので、学校教育法の趣旨に反しているなどとして、「ゲン」を教育現場から撤去することを求める要請書を下村博文文部科学相あてに提出した。
 「ゲン」には「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇」「最高の殺人者天皇」などと天皇を強く批判する記述があり、つくる会は「天皇についての理解と敬愛の念を育てると明記した学習指導要領に反している」と指摘。「君が代なんか国歌じゃないわい」という記述についても、同会は「国旗国歌法で規定された君が代の指導を明記した学習指導要領に反する」としている。
 会見した同会の藤岡信勝拓殖大客員教授は「学習指導要領に反する漫画の内容に子供たちが共感すれば、教育が成り立つはずがない」と話した。(2013.9.11 15:47)


 松江市教育委員会の閉架措置指示と言い、今回の「作る会」の要請と言い、さいきん右翼勢力(「保守勢力」と書きたいところだが、真の保守信条者はああいう品性下劣なことはやらない)からの「はだしのゲン」バッシングが目立つようになってきた。右翼機関紙である産経新聞(*)は今月3日、河村直哉編集委員名で「(ゲンは)公立図書館に置くべき本ではない」という記事を掲載し、「偏向」だの「左傾病」だの、「ゲン」攻撃のためにありとあらゆる字句を並べ立てている。少々長いが、全文引用しておこう。

*産経新聞は、主要全国紙(読売・朝日・毎日)がそろって「左翼的」だった時期に、左翼対策メディアを必要とした政財界の求めに応じて創刊された新聞である。産経新聞を「右翼新聞」と形容するのは、正鵠を射た表現である。

【西論】どこまで日本をおとしめるのか 「はだしのゲン」再考 編集委員・河村直哉
 漫画「はだしのゲン」騒動について報じる朝日新聞(夕刊8月27日(大阪本社版))。社会面1ページを丸々費やして、日本の兵士がアジアで「首をおもしろ半分に切り落したり」「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊をひっぱり出したり」とした「ゲン」の絵を掲載している
 どこまで日本を自らおとしめたら気がすむのだろう。「はだしのゲン」騒動で改めて、日本という国が痛々しくてならなくなった。松江市教委のなんという腰砕けぶりであり、日本の新聞のなんという偏りであることか。
 最初に結論を書く。「はだしのゲン」は特に後半、偏向し、日本をあしざまにいうことはなはだしい。公立学校の図書館に置くべき本ではない。

●日教組の「情宣局」暗躍
 おさらいしておけば昨春、この漫画を学校の図書館から撤去する要求が男性から市教委にあり、市議会に陳情もなされた。陳情は不採択になったが市教委は昨年12月、子供が自由に閲覧できないようにする措置を市内の小中学校に求めた。
 先月半ばにこの件が表に出てから、朝日新聞や毎日新聞などが騒いだ。試みに朝日の見出しを社説も含めて追ってみよう。「閲覧制限はすぐ撤回を」「松江市教委が事前アンケ 校長多くが作品評価」「『10歳で読めて良かった』 『はだしのゲン』に米漫画家」。制限の撤回を求めるキャンペーンである。こうした声に押されるように市教委は先月26日、あっさりと撤回の結論を出した。
 翌日の朝日は、朝夕刊とも大はしゃぎ。朝刊では「『ゲン』読む自由戻った」と、抑圧からの解放のように報じた。夕刊では男性が漫画の撤去を「しつこく求めた」などとも触れ、日本兵の残虐行為だという「ゲン」の絵をわざわざ載せた。得意の自虐である。
 撤回を決めた教育委員会会議の判断もまた、浅はかだった。当初事務局のみの判断で学校に制限を求めたことを「手続きの不備」として、撤回しただけ。その後の対応は学校に委ねた。
 今回の騒動の発端がどうであれ、公教育の場で日本の歴史をどう教えるかという問題提起があったのである。撤回は歴史問題を避けて通った、責任逃れの役所仕事にすぎない。手続き上の不備があったとしても、教育委員が集まった場で改めて閲覧制限の方針を出すこともできたのだ。

●根深い日本の「左傾病」
 騒ぐメディアと押される当局。これは戦後日本を覆ってきた「左傾病」ともいうべき図式である。半世紀ほども前から日本の左傾メディアは、閣僚の憲法批判、靖国参拝などことあるごとに大悪事ででもあるかのように大騒ぎし、牽制(けんせい)してきた。病根は相当に深い。
 不愉快だが、この漫画が公教育の場にふさわしくない理由を改めて見ておこう。日本の兵士がアジアで「首をおもしろ半分に切り落したり」「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊をひっぱり出したり」。こんなせりふを主人公が並べる。あるいは「君が代なんかだれが歌うもんかクソクラエじゃ」と主人公に叫ばせる。さらに登場人物たちは、「いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる」など汚い口調で天皇をののしるのだ。原爆への怒りが、日本の戦争への一方的な断罪へと転化させられている。
 昭和48(1973)年に少年誌で連載が始まった「はだしのゲン」は、いくつか発表の舞台をかえた。左派系雑誌「文化評論」あたりから政治色を濃くし、同57年に「教育評論」という雑誌に移る。
 連載が始まった「教育評論」4月号の巻頭コラムには、こんな文言がふんだんに盛り込まれている。「政府自民党の軍国主義政策」「右翼暴力集団と自民党の戦略が名実ともに完全に一致した」。左がかった運動体の扇動文としか読めない。翌5月号の特集は「反核・平和・軍縮の教育」。反自衛隊、反原発などの内容だ。「ヒロシマの心を次代の子らに」という文では、「残念なことに日本軍国主義の野蛮な侵略行為の実相は、現行教科書ではほとんどふれられていない」とある。
 「はだしのゲン」はこの雑誌での連載中、反日的なイデオロギー色をさらに濃くした。「ゲン」が日本をののしってやまないころの昭和61年12月号。雑誌も日本兵のアジアでの「悪行」を写真入りで特集している。南京事件などを、中国寄りの立ち位置でそのまま書いているのだ。
 「教育評論」の発行は日本教職員組合情宣局。表紙には「日教組機関誌」とある。このような偏った思潮のなかで「ゲン」は学校に広まっていったのだろう。

●どんな国を築きたい?
 閲覧制限を批判した論者のなかには、表現の自由や子供の知る権利を持ち出す者もいた。筋違いである。次代を担う青少年を育むべき公立学校の図書館で、この漫画が野放しになっていることの是非が論じられなければいけない。
 日本には表現の自由もあり知る権利もある。しかし公立の学校で子供たちがこの漫画を自由に読める環境を作るとき、大人はどんな「公」を考えているのか。左傾病は、日本という国家の将来を健全に築いていこうとする誠実さをまるで欠いている。
 折しも中国や韓国が、歴史認識についての言いがかりを強めている。誇張されたり作り上げられたりした、おかしな歴史認識を日本で持とうとするのが左傾病の症状のひとつである。
 それとも、ナニか。左傾病の人たちは、中韓から「良心的日本人」などといって頭をなでられたいか。だとしたら回復の見込みはもはや、ない。(2013.9.3 15:16 )


 この記事、ネットのリンクをたどって見つけたものだが、同新聞の社説タイトル「正論」に引っ掛けて「西論」としているところから、大阪本社版(西日本版)にのみ掲載された記事なのだろう。あまりの低レベルな内容に、産経新聞と言えども東京本社版(全国版)への掲載は見送った、というのが邪推にすぎぬだろうが、この記事から3点だけ誤りを指摘しておきたい。

 まず『日教組の「情宣局」暗躍』という小見出しである。日教組の何らかの機関が裏で動いたことを示す記述だが、見出しに続く本文では朝日新聞・毎日新聞が松江市教委の閉架措置指示を批判する社説を掲載したことを事実として述べるのみ。両新聞と日教組とのつながりはまったく触れられていない。見出しと本文がリンクしていない。悪質な印象操作、と言うよりもウソ見出しである。

 次に、「原爆への怒りが、日本の戦争への一方的な断罪へと転化させられている」と述べている点。「ゲン」を通読すればすぐにわかることだが、「戦争を起こした天皇ならびに日本政府、それを支持した民衆への怒り」と、「原爆で無差別殺人を行ったアメリカへの怒り」は、終始別モノとして描かれている。「原爆を落とされたのは日本が悪い」などとはどこにも書かれていないし、まして「日本は原爆を落とされて当然だ」など、作者の主張と正反対の考えである。そう語る人物(第7巻に出てくる日系人の米軍士官)はいるが、それに対してゲンは猛然と反論している。「原爆への怒りが日本断罪に転化している」などという記述は、河村編集委員が「ゲン」をきちんと読んでいないか、読んだ上で敢えて、産経読者のためにウソを書いているかの、どちらかだろう。

 三つ目に、「ゲン」が少年誌(「少年ジャンプ」)から”左派系雑誌”「文化評論」、そして日教組機関紙「教育評論」と発表の場を移すにつれて、政治色、反日イデオロギーが強まったと述べている点である。全国版掲載のコラム「産経抄」にも書かれていて、受け売り論者があちこちに出てきている「変遷論」だが、誤りである。まず、簡単な話だが、”左派系”や日教組の出版物に書いているからと言って、筆者がその団体の主張を100%是認していることにはならない。モノ書きは、自分の主張を載せてくれるところなら、どこにでも書く。まして日教組の意向を受けてあのような内容になったなどというのは言いがかりでしかないし、作者・中沢啓治さんの妻が明確に否定している。連載先が変わるにつれて政治色が強まっているというのも、間違い。これも「ゲン」を通読すればわかることだが、シリーズ前半では、小学校低学年(被爆時は小学2年)と設定されているゲンに代わり、両親や周囲の大人たちが存分に語っている。後半は、成長したゲンが自ら語り出したにすぎず、全10巻を通して、作者の言わんとしている根幹は一切ブレていない。試しに、第1巻を読んでほしい。1945年初頭から原爆投下までの広島の市井を描いた第1巻はシリーズ中でも傑作だと私は思うが、そこでは、天皇の名で為された戦争、それに懐疑的姿勢を示す者への容赦ないイジメ、朝鮮人差別、軍隊の陰湿さ、自爆攻撃の悲惨さがこれでもか、これでもか、と描かれている。「ゲン」が「政治的」だと言うのなら、少年ジャンプ連載期の第1巻こそ最も政治的であろう。

 「はだしのゲン」について、「反日的だ」「偏向している」という批判は前からあった。けれども、右派勢力からの攻撃がこれほど目立つようになってきた背景は、作者の中沢啓治さんが去年暮れに亡くなったことと無関係ではない、と言うより、大いに関係していると思う。昨年暮れの記事で私は、「中沢さんの死によって、そういう連中が「ゲン」に一斉に攻撃を仕掛けてくる可能性は少なくないと、私は思う」と書いたのだが、その通りのことが起きている。(そう予想していたので、松江市教委の閉架措置指示についても、特に驚きはしなかった

 作者が生きていれば、自分の作品に対する批判がいかに的外れのものであるか、自分の体験と取材に基づいた物語の根拠を、説得力を持って語ることができただろう。しかし、中沢さんの死によって、「ゲン」の背景にあるものを一次資料として示すものが失われてしまった。言葉は悪いが、「死人に口無し」である。「ゲン」を憎々しく思っている人たちは、ある意味で中沢さんの死を待っていたのではないだろうか。

 「ゲン」を、どうしたら守って行けるか。それは、中沢さんが描こうとした世界を後世に伝えようとするこの社会の意志の強さ次第だと思う。右派勢力がとりわけ問題とする、漫画に描かれた中国での日本軍の蛮行は、外務省が世界に向けて認めている「歴史的事実」だ(「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」外務省HP)。作中のゲンが繰り返し語る「天皇の責任」についても、昭和天皇自身は主戦論ではなかったにせよ、統帥権を掌握し、「天皇陛下」の名の下に多くの兵民が犠牲になった以上、結果責任は免れ得ない。戦後GHQが天皇を戦犯として訴追しなかったのは、日本支配を強固なものにして西側陣営に組み込むという、アメリカの政治的思惑の産物にすぎない。

 そういう事実から目をそらし、「美しい国」などと唱えたがる勢力から「ゲン」をどう守るか。それは、過去と向き合おうとする私たちの意志次第である。






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