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zoom RSS 「ジャンボ退役」について思うこと

<<   作成日時 : 2014/03/31 23:00   >>

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画像 国内航空会社で最後の運航となるBボーイング747-400Dを見送るために羽田空港まで出かけたことは、きのう書いた。正直なところを書くと、ジャンボについては3年前のJAL退役のときに自分として「お別れ」したことにしていて、今回のANA退役については、イマイチ盛り上がっていなかったというのが正直なところだ。ワタシにとって、ジャンボと言えばJAL、だったから。とは言え、日本の航空会社として最後の運航は見届け、記録しておきたいと思い、きのうは出かけた。

 多くの人が語っているように、ジャンボはワタシにとっても、特別な飛行機だ。JALがB747を導入したのが1970年。1970年代前半生まれの私が幼少期に手にしていた乗り物本には、JALのジャンボの写真やイラスト図解が例外なく載っていたものだ。当時、北海道の釧路に住んでいた私が見たことがある飛行機と言えば、東亜国内航空(TDA=当時)のDC-9とYS-11だけ。JALのジャンボに乗りたい、それに乗って外国に行きたい・・・と思いをつのらせていた、幼少期だった。そんな中、あれは1980〜81年くらいだった思うが、千歳空港から釧路に向かう便を利用する際に、全日空(ANA=当時は「全日空」という呼び名の方がメジャーだった)のモヒカン塗装のB747がたまたま目に留まり、「おや? ジャンボって全日空にもあったんだ・・・」と思ったのを覚えている。子どもの頃から持っているジャンボのイメージは圧倒的に、「ジャンボ=JAL」だった。

画像 ところでジャンボ機に関しては子ども時代、友人たちとこんなやりとりをしたのを覚えている。それは、「ジャンボ機の2階は”窓3つ”か、”窓たくさん”か」というもの。確か、学校かどこかでジャンボ機の絵を描いていたのが発端だったと思う。”窓たくさん”で描いた私に、「おまえのは違ってる。ジャンボ機の2階は窓3つだ」みたいな茶々が入り、喧嘩のような言い争いになった。私は、空港で実機を見た記憶からそのように描いたはずなのだが、確かに当時の子ども向け本の写真やイラスト、そして飛行機のオモチャのほとんどが、アッパーデッキ=3つ窓となっていた。種明かしをすれば簡単なことで、初期のB747はアッパーデッキをラウンジとして使うように設計されたため、窓は片側3つしかない。しかし、ラウンジよりも座席として使った方が効率が良いことに気づいた航空会社の要望で、後のモデルでは「窓たくさん」になり、初期の3窓の機体も徐々に多窓に改装されていった。1980年ごろには、B747のほぼすべてのアッパーデッキが多窓だったはずである。ジャンボ機の国内線仕様であるB747SRは、1973年にJALに就航した当時から多窓だった。したがって、アッパーデッキが3窓か多窓かというのは、「どちらも正解」。知識があればどうってことない、取るに足らないことなのだが、子どもというのはそういうことで喧嘩をするものなのだ。正確な知識を持っている大人も、周囲にはいなかった。

画像 そのジャンボ機に初めて乗ったのは、小学2年の冬休み。父親が単身赴任していた東京から、両親の実家がある札幌まで、母親がたまたま予約した便がB747での運航だった。飛行機と言えばDC-9とYS-11しか乗ったことがないから、出入り口が何か所もあって、通路が2本で横10列もの座席があって、さらにシートラジオとビデオスクリーンがあって、ドラえもんのアニメまで見れて(10分ほどの短編アニメを本当に放映していた)、「なんてすごい飛行機なんだ!」と思ったのをよく覚えている。「ジャンボジェットに乗った」は、その先半年くらいの、最大の自慢だった。

 やがて成長し、高校生で初めて海外に出たのも、JALのジャンボだった。千歳〜サンフランシスコのチャーター便だった。札幌で大学生活を送るようになり、アルバイトで貯めた金で旅に出られるようになった頃、札幌〜東京の便は、JASを除いて、ほぼすべてがジャンボだった。海外に出る便も、100%ジャンボ。定員と航続距離を満足させる機体がB747しかなかったからなのだが、札幌〜東京、東京からアメリカや東南アジアへとジャンボで旅した若い頃の記憶は、思い出として強烈に残っている。「ジャンボで海外に行きたい」という幼少期の夢は高校・大学にはかなっていたことになり、それは学費と生活費の面倒を親に見てもらい、バイト代のすべてを飛行機代につぎ込める、今の感覚からすれば恵まれた環境があったからでもある。勤め人になってからも休暇のたびに海外に出ていたが、搭乗回数が多かったのはJALのB747だ。アメリカ本土はもちろん、ハワイ、サイパン、デンパサール、B747が国際線の主役だったのは、ほんの10年ほど前のことである。

画像 そんなわけで、3年前にJALがB747-400を退役させたときには感慨がひとしおだった。それに比べればANAのB747に対してはJALほどの思い入れはなかったのだが、今回ANAでのB747運航終了のことを考えると、べつな意味でこみ上げてくるものがある。それは、機体の老朽化と技術の進歩という、否応無き時代の流れである。JALがB747-400を全機退役させたときには、「まだ使える飛行機をなぜ?」という思いが強くあった。私はそれを、「経営破綻を税金で救ってもらった代償として、JALの象徴であるジャンボ機をリストラして見せる政治的理由があった」と解説したりした。けれども、今回のANAは違う。まぎれもない、機体の老朽化、経年劣化、要するに「寿命」である。きょう退役したANAのJA8961機は1993年の製造だから、21年経っている。軍用機のように飛行回数が少なかったり保管・整備に特別な手当がされている場合は別だが、飛ぶことで利益を生み出す民間機は、20年を超えればガタが来る。まして、離着陸が頻繁な国内線で酷使されてきた機体だ。引退は自然な流れなのである。そして、エンジンの高性能化と期待技術の進歩によって、ジャンボの後継機は、ジャンボのような4発機である必要は無くなった。いまや、双発のB777-300が、初期のジャンボ機であるB747SRと変わらぬ、500人(ANA仕様では520人)を運ぶことができてしまう。(それでも、B747-400Dと比べると定員は40人少なく、そこが多客期の営業上のネックとも言われているが) B747が空の主役を張っていた時代を知る者としては寂しい限りなのだが、時代の流れ、技術の進歩とは、そういうものなのだろう。

 いま空港で目にするのは、両翼に1基ずつエンジンをぶら下げた双発ジェットばかり。大きさと色に違いはあれども、独特の外観で目を引くような機体は、外国機を除いて、ほぼなくなった。飛行機が特別な乗り物ではなくなった、証なのかも知れない。いまの子どもたちは、どんな機体に空の旅の夢を託すのだろう。

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▲2014年3月23日・朝日新聞




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