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zoom RSS 東京大空襲・・・あれから70年

<<   作成日時 : 2015/03/08 23:00   >>

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画像 一夜で死者10万人。一度の空襲としては史上最悪の大虐殺となった、1945年3月10日の東京大空襲から、まもなく70年になる。

 きょう午後、2人の息子たちを連れて、両国の東京都慰霊堂に足を運んだ。東京に住んでいるのだから、東京大空襲のことは記憶にとどめさせたい。聞けば、小1、小3の息子たちは、学校で東京大空襲について習ったり、担任が話をしたことは一度もないのだという。代わりに、というわけでもなかろうが、二宮金次郎だのファーブルだのの伝記話が出ている分厚い道徳教科書が渡され、小1の二男は毎日朗読の宿題をこなしている。公共心だの愛国心だのと言う前に、自分たちの足元の戦争被害をちゃんと教えることの方がずっと大事だろうに、と思うが。私は北海道・釧路の育ちだが、釧路空襲1945年7月14・15日/死者約200人のことは授業でならったものだ。

画像 両国の横網町公園にある東京都慰霊堂は、もともとは関東大震災の犠牲者を追悼するために建てらてたものだ。東京大空襲の犠牲者は、ここを間借りするような形で慰霊されていることは、前にも書いたとおり。施設内の納骨室には、骨壷から溢れるほどの犠牲者の遺骨が、大量に安置されているという。誰の骨なのか、何体あるのか、わからない。戦後になって、空襲犠牲者の慰霊と記憶伝承のための専用施設を作ろうという動きは東京都を中心に何度か具体化したようだが、実現はしなかった。理由はよくわからないが、首都東京でアメリカによる空襲被害をことさらに人目にさらし、機嫌を損ねるようなことはさせたくないという政府の意向がはたらいた、ということではないだろうか。どこの国でも、戦争の伝え方は権力者の考えが色濃くでるものだ。誇張に誇張を重ねたり、できるだけ隠そうとしたり。日本政府にとっての東京大空襲はどちらかと言うと後者なのだろう。

画像 昼過ぎの慰霊堂は、ガランとしていた。何度か来ているが、いつもこんな感じだ。ただ、あさって(10日)の慰霊祭のためらしい供傘が堂内全体に飾られていて、追悼らしい雰囲気になっていた。慰霊祭は東京大空襲の3月10日と、関東大震災の9月1日の年に2回行われているそうだ。前述して施設の成り立ち上仕方のないことというのはわかるが、一方は地震という天災、もう一方はアメリカによる計画的な民間人殺戮で犯罪行為、この二つを一緒くたにしてしまう発想には、どうにも違和感を禁じ得ない。

 公園内にある資料館「東京都復興記念館」は、震災と空襲の被害実態とそこからの復興の道程を展示するもの、ということになっている。が、展示の8割方が震災関連。前に来たときには半々くらいだったから、そこから空襲関連展示は後退したようだ。関東大震災の展示が悪いというつもりはないが、震災とセットでなければ空襲を語れない雰囲気を感じてしまう。地震と戦争を一緒にするなよ、と、やはり思う

 3月10日の空襲被害がここまで大きくなった背景には、日本の木造家屋を研究し尽くして開発された新型焼夷弾M69の威力や、関東大震災の火災延焼の状況を入念に調べて東京下町を攻撃目標としたこと、さらに春一番の強い風が吹く3月上旬を作戦実行日として選定したことなど、アメリカ側の「殺戮のため」の周到な準備がまずある。しかし、警報の遅れや避難場所の不足、さらに、バケツリレーや火たたきによる消化を義務づけ、逃げることが許されない状況だったことも、見逃せない。サイパン陥落で日本の主要都市がB29の行動圏内に入り、3月10日以前にも無差別爆撃と見られる空襲は行われており、東京を狙った大規模空襲は十分に予想できたのに、である。当時の日本政府には、どう見ても、空襲から国民を本気で守ろうという意識はなかった。米軍の残忍さ、非道さとともに、日本政府の無作為も強く記憶にとどめておかなければならない。そして、首都東京でこれだけの被害を出したにもかかわらず、戦争をやめようと本気で主張する人は政府内に誰一人現れず、空襲の悲劇は日本全国、そして沖縄の地上戦や広島・長崎の原爆投下へとつながっていった。

 国策遂行のためには、自国民の命や暮らしなぞどうでもいい・・・そう考える為政者がかつてこの国にいた。そして、その発想はいまも死に絶えず、脈々と受け継がれている気配が濃厚だということを、肝に銘じておこう。

【Ocean Radio@2015】


■東京大空襲・戦災資料センター
画像 東京都の施設とは別に、3月10日の東京大空襲と、それに連なる一連の東京空襲の戦災資料を収集・公開している民設民営の施設がある。江東区北砂にある「東京大空襲・戦災資料センター」が、それ。写真のほか、空襲現場で回収された焼夷弾の実物や火災で溶けた屋根瓦、墜落したB29の破片や米軍が投下した紙爆弾(ビラ)など、展示資料や両国の復興記念館よりもずっと充実している。

画像 ただ残念なのは、知名度があまり高くない上に、民設民営の限界からかアクセスが悪く、ある程度関心のある人以外の目には触れづらくなっている点だ。こういうことこそ、東京都などの公的機関が本気で取り組むべきことのように思うが、上に書いたような事情で、実現性はかなり低いだろう。空襲被害について、学校でも教えないご時世である。東京大空襲という事実そのものが既にこの国ににとって、「語られたくないこと」「触れられたくない歴史」であることは、間違いないように思う。
【Ocean Radio@2015】

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▼日本人の厭戦ムード喚起のためにばらまかれたビラ(紙爆弾)の数々。
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こちらは、アメリカが語り継ぐ”戦勝”の記録(再掲)
言わずと知れた、戦略爆撃機B-29。東京大空襲をはじめ、日本各地に焼夷弾をばらまき、原爆まで落とし、55万8000人(東京新聞・調査/1994年)を殺した、史上最悪の殺人兵器が、「見て下さい、皆さん!」とばかりに、博物館に展示されている(シアトル郊外・ミュージアムオブフライトで撮影/1995年)。B-29の展示については、「史上最悪の殺人兵器を博物館で見る〜B-29・戦略爆撃機 」にも記述。
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