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zoom RSS 日航ジャンボ機墜落事故から30年

<<   作成日時 : 2015/08/12 23:00   >>

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画像 520人が亡くなった単独機としては史上最大の航空機事故、JL123便事故(日航ジャンボ機墜落事故)からきょうで30年になる。テレビでも特集や特番が色々組まれていて、30年経っても、この事故に高い関心を集めるものなのだな、と思った。

 印象に残ったのは8月10日の「報道ステーション」。事故当時、123便と同じ空域を飛行し、機体を目視でとらえていたという元自衛隊輸送機のパイロットが登場し、当時の様子を語っていた。無線交信の内容や機体の異常なバンクからただならぬ気配を感じたという。だが、まさか墜落することはないだろう、無事危機を乗り切ってくれればいい、という思いでそのまま飛行を続け、123便は視界から消えたという。そのまま接近・追尾し、パイロットに機体の外部状況を伝えることができれば状況は変わったかも知れないと思うと悔やまれてならない、と語っていた。

画像 8月1日放送の「NHKスペシャル」では、墜落から機体発見・生存者救出まで16時間を要した経過が、詳細に検証されていた。事故直後、自衛隊機(固定翼・ヘリ)と米軍機が現場上空に到達し、炎上する機体が視認されていたにもかかわらず、その情報は地上に伝わらず、翌朝まで正確な位置は特定できなかった。当時の自衛隊ヘリの機長が、機体発見や降下救助断念の経緯も含め、詳細に語っていた。GPSがなかった時代、地上の地形を視認できない夜間の位置特定にはTACANという無線方位距離測定機が使われたが、誤差が大きいとされたため、地上の目撃情報が優先されたためだ。結果としては、不正確な地上の目撃情報に引きづられるカタチで墜落地点は一晩中迷走を続けた。

 報ステにせよNスペにせよ、30年も経つと、当時は絶対に語れなかったことを語り出す人がいるものだな、と思った。

■検証されない米軍の救助活動
 ただ残念なのは、これまで出てきた検証報道の中でも、在日米軍の不可解な動きと日本政府とのやりとりについてはまったく触れられていないことだ。事故の約2時間後、在日米軍の救難ヘリが現場上空に到着、救助隊員をホイスト降下させようとしたまさにそのとき、司令部から突如中止命令が入り、ヘリは撤収を余儀なくされていたのである。

画像 これは米田憲司著「御巣鷹の謎を追う〜日航123便事故20年」に詳しく出ている話だが、ネタ元は米空軍嘉手納基地から東京の横田基地に向かう米空軍C130H輸送機に航空士(ナビゲーター)として搭乗していたマイケル・アントヌッチ中尉(当時)の証言である。証言によれば、アントヌッチ中尉のC130Hは午後7時すぎ、123便がレーダーから消えたという連絡を横田基地の管制官から受け、123便を捜索するよう指示を受けた。7時20分ごろ、御巣鷹山の斜面で燃えている機体を発見。中尉らは現場の緯度・経度、横田までの方向・距離を連絡し、座間基地の米陸軍の救難ヘリUH-1が向かう準備をしていることを聞いた。その後中尉らは現場上空を旋回しながら向かってくるUH-1を無線と機上レーダーで誘導、UH-1は8時50分ごろに現場に到着、着陸困難と判断し、隊員をホイスト降下させる準備をしていたところ、9時20分ごろ、横田の司令部からC130HとUH-1に対し、突然帰還の命令が出た。救助続行を進言するも命令は撤回されず、「日本側が向かっている」と説明を受けたという。あのときUH-1の救難隊員が降下していれば、もっと多くの命を救えたはずだと、アントヌッチ中尉は悔やんでいる。

画像 この話は、米田氏の独自取材ではなく、アントヌッチ中尉が退役後の1995年8月20日に地元紙「サクラメントビー」(カリフォルニア州サクラメント市)に書いたものである。それを米太平洋軍の準機関紙「パシフィック・スターズ・アンド・ストライプス」が27日付で一面に転載した。さらにその内容を翌28日、米田氏の勤務先であるしんぶん赤旗が報じ、その翌日から日本の新聞・テレビほぼ全社が後追い報道することになったという。しかし米軍ヘリが引き上げた理由を自衛隊も警察も在日米軍も、まともに答えていない。

 一連の経緯を米田氏は次のように推測している。「結局のところ、自衛隊は『全員死亡』『自衛隊の事故関与の有無の確認優先』を前提に行動しているのに対し、米軍はまず『生死確認』を基本にした捜索活動を展開していたように思えてならない」。そして、「横田基地司令部による米軍機の帰還命令は、米軍にしてみれば現場確認や救助活動で先を越されて面子にこだわっていた日本側の気持ちを察した『政治的判断』の可能性がある」と述べている(前掲書 120p)。

 アントヌッチ中尉の証言が世に出たのが、事故発生から10年目となる1995年。米田氏が著書でこれを詳しく検証したのが、20年目となる2005年。しかし、その後もこの証言と米軍の動きについて検証する動きがまったく見られないところをみると、何か重大な事実が隠蔽されているのではないか、という疑いをどうしても抱いてしまう。

画像 そして、これは前々から書いていることだが、圧力隔壁の破壊があったのは事実にせよ、事故調の報告書が言うように、そこから噴出した空気によって、1秒足らずの短時間に、あの頑丈な垂直尾翼(垂直尾翼は飛行機の構造部材でも最も強度が高い)の6割を吹き飛ばしてしまったという筋書きには、今以て納得できない人が、私を含めて大勢いる。どうすれば、それほどのチカラが発生するのか。垂直尾翼のみならず機体尾部までも吹き飛ばすエネルギーは、どこから来たのか。「与圧された客室から一気に空気が抜け、その空気圧によって機体後部が破壊された」というのが事故調査委員会の筋書きであるのだが、これほどの破壊エネルギーを発生させるほどの空気の漏れ(急減圧)があったのだとしたら、客室内の圧力は急激に下がり、秒速10メートルの風が吹き抜け、空気の膨張によって温度はマイナス40度にまで下がっていなければならない。物理学の公式を使い、普通に計算すれば、そういうことになるのだそうだ。だが、生存者4名は、いずれもこうした現象を否定している。迷走する機内で、多くの人が身近な紙に遺書を書き付けたが、外気に等しい気圧にまで気圧が下がったのなら、人は数分で意識を失ってなければおかしい。何よりも、急減圧への対応をたたき込まれているパイロットが、まったく反応していない。急減圧があったのかなかったのか、あったとしても、それが尾翼を吹き飛ばすほどの破壊エネルギーを伴うものであったのかどうか。この点は、何一つ解明されておらず、遺族や専門家の多くが、いまだに原因について納得できていない、重大なポイントである。

 あれから30年。社会にとてつもなく大きな衝撃を与えた事故の真相は、闇に葬られようとしている。このことは、福島第一原発の放射能漏れ事故の原因究明と対策が不十分なまま原発を再稼働させようとしているこの国の状況と通ずるものがあるように思えてならない。
■日航123便消息不明のニュース速報(1985年8月12日)

【Ocean Radio@2015】


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