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zoom RSS 石原裕次郎記念館に行ってきた

<<   作成日時 : 2017/04/23 23:00   >>

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画像 ​今年8月での閉鎖が発表されている、石原裕次郎記念館に行ってきた。1991年にオープンしたこの施設、入場料を払って見に来たのは今回が初めて。いつでも行けると思うと、先延ばしになってしまうものだ。

 本人主演映画のセットの再現や往年の映画ポスター、活動年表、私邸の再現や愛車、膨大な衣装の展示など、なかなか見応えがあった。一俳優の個人記念館としてあれだけの施設を維持できたのはすごいことだな、と思う。

 もっとも、昭和の大スターと呼ばれる石原裕次郎(1934-1987)が「国民的大スター」として活躍と名声を欲しいままにしていたのは、長目に見積もっても1950年代後半から1970年代初頭までの20年弱、年齢で言うと20代から40歳手前までの、それほど長い期間ではなかったことに、展示を見ていて改めて気づいた。主演映画も、1973年公開の「反逆の報酬」が最後だ。映画産業の衰退とともにテレビに活躍の場を移した1970年代以降は、過去の名声に頼って仕事をせざるを得なかったというのが、客観的な評価ではないかと思う。テレビの代表作とされる「太陽に吠えろ」「大都会」「西部警察」は、クレジット上は石原主演ということになっているが、実際の出番は渡哲也ら後輩の俳優に比べて圧倒的に少なかった。

 その短い活躍期間にもかかわらず、人々の記憶に深く刻まれ、あれだけ大規模な施設が26年も維持されたという事実は、石原の存在がいかに強烈だったか、ということだ。これに匹敵するスターがほかにいるかと問われると、おそらく、いないだろうと思う。

記念館の閉館と石原プロの解散説について
画像 冒頭に書いたように、この記念館は今年8月末で閉館することが発表されている。1991年7月22日のオープンなので、丸26年で幕を下ろすことになる。理由は、施設の老朽化だそうだ。

 建物の内外をざっと見た限りでは、それほど老朽化が進んでいるようには見えず、むしろ築26年の建物にしてはきれいに維持されている方だと思った。第一、いくら潮風にさらされる立地条件とは言え、1990年代の建築技術で建てられた鉄筋コンクリートの建造物が、四半世紀しか保たないというのは、どれだけ建設費をケチったんだ、という話である。ただ館内を見渡すと、展示物の多くが開設当初のままと思われ、映像展示の多くは液晶ではなく古いブラウン管のまま。バリアフリーにも対応しておらず、古さは否めない。また、建物の躯体がいくら堅牢でも空調や配管、電気などの設備は20年を超えるとガタが出て来て全面的な入れ替えが必要になるから、老朽化というのはそういう意味なのだろう。そして、多額の資金を投じてリニューアル工事をするにしては、この先の入場者の確保が見通せない。ならば、館長のまき子夫人や石原を支えた後輩俳優たち(渡哲也、舘ひろしなど)が健在のうちに幕を下ろし、きっちり後始末をしておこう・・・そういう判断に至ったのだろうと思う。

 私が訪れたこの日も、日曜午後だというのに入場者はパラパラ、駐車場も館内もガラガラだった。この様子を見ると、もう役割を終えつつある施設なのだな、と思わざるを得ない。

 この3日ほど前、「石原プロ解散へ」という報道を、ネットで目にした。週刊新潮が出本でいろいろなところに拡散しているようだが、これによると前社長の渡哲也(現相談役取締役)は「会社を畳みたい」と公言しており、この意向は現経営陣も認識していることだそうだ。読む限り、石原プロの解散は既定路線、あとは時期の問題だけ、という印象を強く受ける。記念館の閉館も、石原プロ解散と軌を一にしたものと言えるのではないだろうか。

 残念だが、致し方ないことだと思う。石原プロモーションは元々、映画スターとして絶頂期にあった石原裕次郎が「既存の枠組みにとらわれない映画作りをしたい」という思いから設立した会社(1963年)だ。芸能事務所と言うよりは制作会社の色彩が強く、撮影機材や劇用車、カメラマンや編集技師なども多くを自前で抱えていた。ところが、テレビへの本格進出とともに映画製作は途絶え、そのテレビ製作すらも1990年代前半以降は例外的な少数を除いて、行われていない。芸能事務所と過去作品の資産管理機能に特化しており、石原の設立理念とはかけ離れた状態が長年にわたって続いているのが実態だ。しかも、後進の人材はほとんど育っていないと言われる。これでは、上記の記念館と同じく、「自分たちが生きているうちに会社は畳んで整理しよう」という考えが出て来ても、一向におかしなことではない。

 石原プロには現在、30人の社員が在籍している。ここからは想像だが、同社の現在の活動規模で30人の社員を維持するのは相当な負担ではないだろうか。「西部警察」などの二次利用料がそれなりに入ってくるにせよ、所属俳優の活動機会(テレビ、映画、舞台など)がそれほどでもない現状を考えれば、会社の維持は相当な重荷になっているのではないかと思う(映像ソフトの二次利用商売は、利益率は高いが売上金額自体は一般に思われているほど高くはない)。さらに想像を重ねれば、同社の所属俳優たちの出演料(ギャラ)は、本人の取り分に会社の維持費が加わりかなり高額、それを理由に出演オファーがためらわれるケースもそれなりにあるのではないだろうか。会社解散を公言しているという渡哲也には、俳優たちが独立し、ギャラから石原プロの取り分をなくし、自由に仕事を取れるようにしたほうが出演機会が増え、活動の幅が広がるという考えがあるのではないかと私は思う。

 石原裕次郎の死から、まもなく丸30年になる。「昭和の大スター」の威光も、いよいよフェードアウトにさしかかっている。そういうことではないかと思う。
【Ocean Radio@2017】




「石原プロ」解散へ 「渡哲也さん、一生お恨み申し上げます」元幹部が告発
デイリー新潮 4/19(水) 16:59配信

「今、語っておかないと、これまで40年間、石原プロで勤め上げてきた僕の人生に悔いが残ってしまう」
 と語るのは、「石原プロモーション」元常務の仲川幸夫氏(77)である。仲川氏が、設立者・石原裕次郎の未亡人であるまき子会長(83)から、配達証明郵便で“クビ”を宣告されたのは3月10日のことだった。
 同月30日、石原プロは新役員人事を発表し、渡哲也(75)を「相談取締役」とした。これを知った仲川氏は、自身の退任に渡が関わっていたと察し、ショックを受けたという。
「僕の退任劇は昨年11月12日、渡さんの自宅で、会社の今後について話したところから始まったと思います」(仲川氏)
 以前から会社を畳みたいと公言していた渡は、この日も“会社をまき子さんに返して自由にやってもらえばいい”とこぼし、石原プロを辞めると言い出したという。会社を残したい仲川氏は当然慰留したが、これを機に渡との関係が悪化。その後、仲川氏の“失言”もあり、渡・まき子会長側との溝は決定的なものになる。
 今回の役員人事は、会社を畳むための布石であると仲川氏は断言する。
「僕から直接話を聞かず、この仕打ちは本当にひどい。僕は渡さんを、一生お恨み申し上げます」(同)
 石原プロの統括取締役・浅野謙治郎氏は、「渡さんの頭のなかに、解散という選択肢があるのは事実です」としたうえで、仲川氏の退任と解散との関係は否定するが――。
 4月20日発売の「週刊新潮」にて、仲川氏の告発の詳細を掲載する。

「週刊新潮」2017年4月27日号 掲載

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