サマータイム導入は将来への投資である(私的夏時間賛成論)

 北海道で生まれ育った私にとって、夏は大好きな季節だった。寒い思いをせず、半袖・半ズボンで思い切り外で遊べるからである。小学生の頃は、公園や空き地で缶蹴りに熱中したし、野球やサッカーも下手くそながら楽しんだ。自転車で山や川まで遠出をすることもあった。短い夏は、とにかく楽しい季節だった。

 だが、夏の外遊びにも大事な約束事があった。「暗くなるまでか、夕食前までに家に入りなさい」である。団地住まいで各家庭の生活パターンが似ていたせいもあり、近所の遊び仲間たちの間でも、このルールは守られていたように思う。そして、夕食を終える頃には日はとっぷり暮れている。しかし、夏至をはさんだ6~7月の数週間だけは別で、夕食を終えてもまだ外は明るく、再び外に出て遊ぶ食後の30分、あるいは1時間が、ひどく特別な時間に思えた。ところが8月になると、日没は目に見えて早まって来る。学校は夏休み、気温も最も高い時期なのに、なんで暗くなるのは早いんだ、と地球の公転軌道と地軸の傾きを恨んだものだ。(もちろん、こんなメカニズムは後からわかったことだが)

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 高校生のとき、夏休みに1週間ほどアメリカに行く機会に恵まれ、そこで「サマータイム」という仕組みを初めて知った。夜9時近くまで明るいことにまず驚いたが、子どもも大人も、屋外で実に楽しそうに過ごしていることに、ひどく感動した。

 大学時代には、交換留学でアメリカで1年間過ごしたが、日没が遅いことを利用して、屋外での時間を人々が実にうまく使っていることを実感した。ジョギングに川遊び、庭先や公園でのバーベキューにキャンプ。オープンテラスを備えたレストランも多く、夕方の7時や8時、明るい空の下で飲むビールが実にうまかった。スポーツにコンサートなど、人々を屋外に呼び込むためのイベントも多彩だった。

 もちろん、不便な点もあった。最たるものが、年に2回の時計の切り替えだ。夏冬自動切換式時計なんていうハイテク製品は、アメリカにはない。時刻の切り替えは日曜未明に行われるために、日曜日は大学じゅうの時計という時計が1時間狂っていた。日本との時差の計算も面倒だった。さらに、睡眠不足の問題も指摘されていて、アメリカでは、時刻が夏時間に切り替わった(1時間進めた)翌月曜日は交通事故の発生件数が多い、という統計もある。また、広大な国土ゆえ、輸送、流通、一次産業などの時刻の調整にも、多大なコストが払われているだろう。

 けれども、だからサマータイムは不要だとか、やめるべきだという話は聞いたことがない。アメリカ人とこの話をすると、平均的な反応はこうだった。「日光が有効に使えて、野外活動の機会も増えて、こんないいことはないじゃない。あなたの国では、どうしてそれをしないわけ?」。アメリカ国民の大多数は、多少面倒でも、社会的コストがかかっても、日没を遅らせるサマータイムはやる価値があると考えているのである。(この点、自分たちが良いと信じることのためには犠牲もいとわない、アメリカの国民性もあるのだろうが)

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 10年前の1995年、日本でサマータイム導入の話が持ち上がったとき、まっさきに出てきたのが労働強化への懸念だったのには、ちょっとがっかりした。

 そりゃ確かに、明るい時間が増えるのだから、レジャーやサービス産業には、そういう面はあるだろう。せっかく日没を伸ばしたのに、公園やゴルフ場が日没前に閉まるのじゃ、何のためのサマータイムかわからない。けれども、働く人の大多数がサービス業、というわけではない。労基法が一日の基準労働時間を8時間と定め、多くの役所や企業が午前9時~午後5時、またはそれに準じた勤務時間を定めている中で、時刻を1時間ずらしただけで、なぜ労働強化になるのか、その理屈がよくわからない。

 1日12時間も13時間も働くサービス残業型モーレツ社員は、サマータイムがあろうとなかろうと、もともと週日に余暇の時間など持てない。それはそれで大問題なのだが、「モーレツ社員にとってサマータイムは意味が無い、だから反対」という理屈には「ちょっと待てよ」と言いたくなる。

 私だって、日付が変わるまで会社にいることはしょっちゅうで、完全な休みは月に5~6日あれば良いほうという、典型的なモーレツ社員だが、だからこそ、たまの休みには、日が長く、外でゆっくり過ごせればいいな、とは思う。

 世の労働者がみんなモーレツ社員なわけではないだろうし、だいたい勤労人口だって、世の中の半分とちょっとだ。勤労者にとってのデメリットと、世の中全体にとってのメリットは、分けて考えるべきだ。

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 サマータイム導入に際し、デメリットが多いわりにメリットが少ない、という声をよく聞く。そうだろうな、と思う。おそらく推進派は、夏が好きで、外遊びが好きで、そういう機会を増やせば喜ぶ人が多いと思っている人だ。こういう人たちからすれば、「日没が遅くなること」そのものが何よりのメリットなのだから、そこにそれほど高度な理屈はない。省エネだの経済効果だの(この2者は本質的に矛盾する)と理論武装しようとするから、おかしくなる。「屋外活動の時間を増やすために、サマータイムを導入しましょう」、これでいいじゃないか。

 アメリカの国民の多くが、サマータイムにさほど疑問を持たず、受け入れているのは、半世紀以上もの歴史があるからだと思う。明るい時間の過ごし方、楽しみ方、仕事の切り上げ方、こういうノウハウを長い時間をかけて作り上げてきたから、不便はあっても、「こんないいものはない」と言えるのだと思う。

 日本にサマータイムを導入して、すぐにアメリカ人のような過ごし方ができるようになるとは、考えていない。だが、どうか長い目で見てほしい。10年後か20年後には、日光のありがたさ、日没が遅いことも素晴らしさを、日本人もきっと実感できるのではないか、と私は思う。

 サマータイム導入は、将来への投資である。

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