サマータイム~システム切り替えの負担は?

 サマータイム導入にあたり、現実的に最も障害となるのは、年に2回時計を切り替えなくてはならない社会的コストだということは、サマータイム大賛成の私も、異論が無い。たった1年だけアメリカ暮らしを経験したが、春と秋の時計の切り替えは煩わしかった。時制が変わった直後の日曜日は、大学中の時計が1時間狂っていて、イライラしたものである。

 サマータイム導入にともなって、システムを改修するための社会的コストは、1000億円だの2000億円だのと言われているのだという。そりゃ確かに、運輸、流通、工場、エネルギー、ありとあらゆるシステムがコンピューター内の時計を基準に動いている。身近なところでは、交通信号の制御、電車や飛行機のダイヤ、テレビやラジオ放送。電話による時刻案内(117番)だって重要だ。それらすべての時計を改修し、かつ誤作動がないか検証するのは、大変な作業だろうとは思う。たとえば、札幌商工会議所が提唱している「北海道サマータイム構想」では、日本全体の導入費用を1000億円と仮定した上で、それをGDP比で割って41.2億円という北海道での導入コストを試算している。

 とは言っても、たかだか基幹コンピューターの時計を1時間ずらすだけの作業である。それだけのことに、本当に東京ドームを3棟も建てるほどの費用がかかるのか、にわかには納得できない。不思議なのは、導入コストとして喧伝されている数字に、導入国を調査した例だとか、コンピューター会社が試算した例だとかの具体的根拠が示されていないことである。それはある意味、仕方がない面もある。コンピューターの改修なんて、手を付ける前提でかなり詳しく調査をしないと費用なんてわからないものだ。

 コンピューターと言えば、それを動かすOSの大半はサマータイムが導入されている欧米でも使われることを前提に、サマータイム機能が組み込まれているから、それを「オン」にするだけの作業にコストはわずか、という話も聞く。

 仮に1000億円だとしても、それを全部税金で負担しろと言うわけではない。個々の官庁なり民間企業なりがちょっとずつの費用をかけて自前のシステムの時計を改修し、その費用の集合が1000億円だったとして、それがそんなに問題なのだろうか。導入コストと言えば、消費税率を上げたり、外税から内税に切り替えたり、あるいは新札や新硬貨が発行されたりするときも、かなりの導入コストがかかっている。これらは問題にならなくて、サマータイムの導入コストだけがそんなに問題なのだろうか。

 ある文章では、家庭にある時計をすべて修正するために要する時間を時給換算し、それを掛け算して「導入コストは2000億円」などと表記していた。

 導入コストというのは、最大限に水増しした見積もりを提示し、「こんなにコストがかかるんです。だからサマータイムはやめましょう」という方便にされているような気がしてならない。

 余暇時間の拡大(厳密には「屋外での活動可能時間の拡大」)というサマータイムの効用を考えれば、それなりのコストを払ってでも導入する価値があると、私は思う。現に欧米諸国は、そういう考えでやっている。けれどもここのところ、価値が「ある」「ない」は結局のところ、前にも書いた「遊び型人間」と「仕事型人間」の哲学的対立になってしまうわけだが。

 最後になるが、家庭での時計切り替えの負担。やはりこれは、バカにならないと思う。ハイテク立国ニッポンのこと、10年もすれば家電製品の内蔵時計はみな、サマータイム自動修正機能付きになると思うが、それまでの間、何十個もある家庭の時計を手動で切り替えねばならないのは、特に高齢者や主婦にとっては、大変だろう。

 これを解決する手段として、「時計切り替えボランティア」という仕組みを提案したい。詳しくは別稿で。

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