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zoom RSS 小室哲哉について

<<   作成日時 : 2018/01/30 13:21   >>

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朝日新聞に、こんな記事が出ていた。でも、「小室哲哉の絶頂期が1993?2000年」と言われると、正直「?」と思う。

私の年齢もあるのだろうが、角松敏生に今ほど傾倒する前の1980年代、小室サウンドはけっこう好きでよく聞いていた。そういう身からすると、1980年代にも名曲は多のにな、と思う。「MY REVOLUTION」(渡辺美里/1986)が代表曲だけど、これだけじゃなく「NONSTOP DANCER」(荻野目洋子/1986)「JINGI・愛してもらいます」(中山美穂/1986)「悲しいね」(渡辺美里/1987)「Good Morning-Call」(小泉今日子/1988)「ドリームラッシュ」(宮沢りえ/1989)とか、大ヒットとまでは言わなくても、良い曲は多い。

自身のグループTM NETWORK(TMN)でも、代表曲と呼ばれる曲はほとんど1980年代。「SELF CONTROL」(1987)、「GET WILD」(1987)、「BE TOGETHER」(1987)、「DIVE INTO YOUR BODY」(1989)。一般的な知名度は低いが、「1974」(1984)「8月の長い夜」(1985)「HUMAN SYSTEM」(1987)「WE LOVE THE EARTH」(1990)あたりだって、名曲と呼んでいいと思う。

商業的成功という点で1990年代が頂点だったのは間違いないけど、そこだけで小室を語ってほしくない。彼の才能と音楽的多様性は1980年代に見られると言うべきで、90年代だけに着目すると「ヒットメーカー」という一面だけに目が行き、作曲家という別の一面が見えなくなると思う。

さらに言えば、1980年代に提供した曲の多くは、小室がアレンジまで手掛けたわけではない。「MY REVOLUTION」は歌謡曲の超大御所、大村雅朗が編曲している。楽曲の良し悪しはアレンジャーで決まると言っていいくらい、流行音楽でのアレンジャーの役割は重要だが、何を言いたいかというと、アレンジを他に委ねても、あれだけ人の心に残る曲を作れるということ。むしろ、マイレボのアレンジを小室自身が行っていたら、あそこまで心に残る曲になったかどうか。

音楽プロデューサーではなく作曲家としてなら、まだまだ才能発露の場はあったと思う。過去の成功体験を背負い込み過ぎて、それを超えなくてはというプレッシャーを抱えながら意欲がついえてしまったことが、残念でならない。

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