「自粛」を「要請」は、日本語としておかしい

 「不要不急の外出は自粛してください」「外出自粛を要請しました」という言い方をメディアも行政も普通に使うのが当たり前になってしまったけど、よく考えたら、おかしくないか?
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 だって、「自粛」というのはそもそも、自分の意志で行動を控えることでしょう。「当面の間、活動を自粛します(不祥事が発覚した芸能人)」とか、「総合的な判断で、報道を自粛していました(ヤバいネタを隠していた報道機関)」とか。「自分の意志で控えること」を「お願い」だの「要請」だのするなんて、主体と客体がひっくり返った話で、理屈としておかしい。

 同じ次元で、「営業自粛を要請」というのもおかしい。「自粛」と言うからには開けるも閉めるも経営者の意志次第ということになり、それに伴って生じる影響は経営者の責任、ということに理屈としてなるから。自粛要請を無視して営業している店が批難にさらされるのもお門違いで、自分の責任とリスクと法令の範囲内で続けるとする判断は尊重されるのが自由な社会の鉄則ではなかったか。

 こういうことは、「(市長が)自宅待機を要請」「(知事が)営業休止を要請」と表現するのが真っ当ではないだろうか。もちろん「要請」に強制力はないのだが、「市長が」「知事が」「総理が」と主語を明示することによって主体と客体が明確になり、そてによって生ずる結果も「主体」が責任を持つという社会的合意が生まれるから。

 ついでに言えば、「自粛」とセットにされる「不要不急の」という言葉も、意味不明。不要不急の基準なんて人によってバラバラで当然で、人が出てくるのを止めれるはずがない。「生活維持のため必須の行為」「勤務先から命じられた場合」などと具体的な表現が、なぜできないのだろう。

 新型コロナの感染拡大が止まらない理由が、自粛要請が中途半端だから、強制力がないから、と考える人もいるようだが、私は、「自粛要請」だの「不要不急」という言葉の不明確さ、わかりづらさ、論理的破綻が原因の一つではないかと思う。

 たかが言葉、ではない。非常時に国民・市民に届く明確な言葉を出せるか否かは、リーダーとしての資質そのものではないかと思うのだ。

【Ocean Radio@2020】

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