「スピード違反なぞ、誰でもやってる」「立ちションなぞ、誰でもやってる」、それと同じ次元の話だと思う。誰でも身に覚えのあることが、イコール「やっても良いこと」にはならないのは当たり前の話。速度違反は、不運にも摘発を受けた場合には高額の反則金を納付せねばならぬし、他人の敷地で立ちションは明確な刑法犯である。
誰でもやってるかも知れないが、「やってはならない」。発覚した場合にはそれなりの制裁を受けてもらう、そういう社会的合意が重要なのである。その合意の共有を「社会的規範」と呼ぶのではなかったか。

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